まゆは、シルクロードを旅して中国へ。 人と国との交流の役割を果たしながら日本へ。 そして、優雅な文化を育み広く普及していきました。 江南市でも養蚕は江戸時代に始まり、昭和になってからは辺り一面が桑畑ばかり。 どこの家でも蚕を飼っていて「オキャーコさま」と呼ばれ、収入源となりました。 戦後には、昭和天皇が布袋町木賀にあった愛知県養蚕試験場を行幸されたという歴史もあります。 蚕が何回を脱皮し、まゆになり、蚕蛾が卵を産み、また蚕になっていく生物循環の過程に生命力を感じ ます。今も残る桑畑、私たちの生活の中にどのように係ってきたのか再発見してみましょう! |